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新宿区若松町。
都心にありながら、通りや路地裏には時代時代の痕跡が残っています。
人とのつながりを楽しみながら、新しい歴史を一緒につくりませんか。

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新年、はやくも一週間経ってしまいました!

私(碧)、年末のブログで宿題を持ち越してしまいましたので、
それをご紹介して新年のご挨拶とさせていただこうと思います。

「昔若松町にあって、今は無いもの」
一つ目は…そう、犬屋敷でしたね
もう一つをご紹介しないまま年を越してしまいました。

それは… 聴秋閣(ちょうしゅうかく)。
こんな建物です!
10b4e520.jpeg

えっ、こんな建物が若松町に?!とお思いかと思いますが、
こんな歴史があるんです。
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元和9年(1623)に、三代将軍徳川家光が京都二条城内に聴秋閣を建立した。
その後、乳母の春日局が賜り、局はそれを夫の稲葉候の江戸邸内に移し、
明治14年(1881)に若松町の二条公邸に移築され、
さらに大正11年に、横浜の三溪園に移築された。
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という訳で、
元は京都にあったものが一時期江戸に移築され、
現在は横浜の三溪園にあって、重要文化財になっている、ということなんです。
若松町で、よもや江戸初期の大奥の支配者と言われる春日局が関わってくるとは!
歴史とは不思議ですねえ。

三溪園さんのホームページから、写真と建物の解説をお借りしてきました。untitled.jpg
徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物。各部の意匠は独創性・変化に富みますが、書院造としての格や茶亭としての機能に応じて緻密に構成されています。L字型の一段下がった杢板敷きの入口は舟で漕ぎ着ける場を想像させ、当初は水辺に面して建てられたのかもしれません。江戸時代はじめの上流武士階級の風流な文化が伝わります。
この建物は江戸時代の武士 佐久間将監(さくましょうげん)の作と伝わります。小堀遠州(こぼりえんしゅう)と同時代に幕府の造営・修繕に関わる作事方を務めた人物で両者とも茶の湯に深く似た境遇であったため、遠州はライバル的存在であったのかもしれません。この建物から将監の挑戦・意欲が伺えます。
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現在の若松河田駅前の、小笠原伯爵邸のはす向かいあたりが二条公邸だったので、
今は何ということはないビル(ごめんなさい)になっているところに、
こんな風流な建物が建っていたんですね。

前に三溪園で見たことがあるのですが、
凝った意匠で、でもなんとなくかわいらしい建物です。
後にCORE牛込若松に関わることになって、ここにあの建物が!と驚きました。

聴秋閣が若松町にあったのは、
1881(明治14年)から1922(大正11)年まで。
小笠原伯爵邸の完成が1927年なので、
残念ながら、 聴秋閣と小笠原伯爵邸は同時期には建っていなかったんですね。

聴秋閣、現在内部は入れませんが、特別公開の時は中に入れるようですよ。
横浜に見に行ったときには、若松町にも思いを馳せてくださいね!

こんな若松町にあるCORE牛込若松を、本年もよろしくお願いいたします!

by 碧
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PROFILE
HN:
CORE 牛込若松
性別:
非公開
自己紹介:
新宿から8分、若松河田駅から2分。

築50年の建物を、無垢材や漆喰など自然素材を活かして改修中。充実したキッチンや共用空間、ゆったりとした個室、みんなでつくる庭。屋上からは新宿の高層ビルや花火も見えます。

実はこの町、江戸城に門松を献上していたから「若松町」という名がついたとか。江戸のお稲荷さん、大正のレトロ建築、懐かしい雰囲気の商店街も残っています。

この町で、住人仲間はもちろん、町の人たちともゆるやかにつながる。シェアハウスから広がる暮らし、はじめませんか?
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