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新宿区若松町。
都心にありながら、通りや路地裏には時代時代の痕跡が残っています。
人とのつながりを楽しみながら、新しい歴史を一緒につくりませんか。

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 こんにちは!
最近連日明かされる、若松町の魅力に取りつかれたあなた!
ぜひCORE牛込若松に、入居ご検討くださいね!

 
さて今日は、
国際医療センター前の、この道路に注目してみたいと思います。
b942ffc8.jpg 
なんだか、不自然に曲がっていると思いませんか?
昭和62年にロータリー化工事が行われ、斜めの道路ができたそうですが、
それまでは、カクカクと曲がった道路だったそうです。
こんなクランク状の道、道路としてはとっても不便ですよね。
どうしてなんだろう?
 
この秘密も、何と江戸時代にあったのです!
 
謎解明の秘密兵器、こんな地図を入手しました!
江戸時代(文政11年(1828)の古地図に、現在の鉄道路線図をプロットした地図です。
 DSC_0372.jpg
(人文社「御江戸電車めぐり」)
 
例えば皇居の周りは…。
DSC_0375.jpg
 
東京ドームは…。
DSC_0376.jpg
 
月島は、まだ海の中です
DSC_0378.jpg 
 
というような、大変興味深い地図なのですが、
これで若松町を見てみると、こんな感じ。
DSC_0379.jpg
 
現在の若松町の道路は、江戸の道路とほとんど同じです。
c66d05c3.jpg
(ちょっと縮尺が違いますが…分かるでしょうか?)
 
この地図を見ると、主な道路は今の東京とそれほど変わらず、
道路が複雑に入り組んだ地域と、整然と並んでいる地域に
分かれていることが分かります。
 
実は、江戸時代には、
道路が複雑に入り組んだ地域には武家や大名の屋敷があり、
整然としている地域には町人の住まいがあったんだそうです。
 
武士や大名の屋敷のあった場所が入り組んでいたのは、防衛上の理由から。
真っすぐな道路だと、敵が来たらすぐに攻められてしまう。
入り組んだ道であれば、敵の足止めもできるし、物陰から攻撃もできます。
そのために、武家や大名の屋敷周辺は
鈎(かぎ)型道路や迷路型の道路になっていたのです。
(一方、町人が整然としたところに住んでいたのは、
幕府が小さな土地に効率的に住まわせようとしたからなんだそうです。)
 
つまり、国際医療センターの前のこのクランクは、
まぎれもなく、ここが尾張殿、つまり、戸山山荘だった名残りなのです!

 
昭和62年にロータリー化工事されるまで、地域の人は不便を忍び、
この工事には、14億円も掛かったとか。
f4c625c9.jpeg 
「若松町の歩み」より、ロータリー化工事の写真。戸山山荘側から見た写真ですね。
 
昭和の間ずっと、こんな不便に耐えていたとは、
手を付けられない何か大きな力がかかっていたのでしょうか…。
歴史、侮れません。
 
 
江戸のお屋敷の端っこが見たい方、
「若松町 歴史発掘町めぐり」に、ぜひご参加くださいね!
 
By碧
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PROFILE
HN:
CORE 牛込若松
性別:
非公開
自己紹介:
新宿から8分、若松河田駅から2分。

築50年の建物を、無垢材や漆喰など自然素材を活かして改修中。充実したキッチンや共用空間、ゆったりとした個室、みんなでつくる庭。屋上からは新宿の高層ビルや花火も見えます。

実はこの町、江戸城に門松を献上していたから「若松町」という名がついたとか。江戸のお稲荷さん、大正のレトロ建築、懐かしい雰囲気の商店街も残っています。

この町で、住人仲間はもちろん、町の人たちともゆるやかにつながる。シェアハウスから広がる暮らし、はじめませんか?
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