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新宿区若松町。
都心にありながら、通りや路地裏には時代時代の痕跡が残っています。
人とのつながりを楽しみながら、新しい歴史を一緒につくりませんか。

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こんにちは!
今日は、若松町に昔あったけど今は無いもの、を2つご紹介します。
 
1つは、犬屋敷。
江戸時代、5代将軍綱吉が制定した「天下の悪法」生類憐みの令により、
野良犬を収容したお屋敷があったんです。
DSC_0463.jpg

 
歴史、復習しちゃいます?
五代将軍徳川綱吉は、男の子徳松の死後、世継ぎに恵まれず、
これを前世の殺生によるものと信じ、貞享4年(1687年)に「生類憐れみの令」を発します。
生物の殺生を固く禁じ、自身が戌年(いぬどし)生まれだったため、特に犬を重視しました。
250px-Tsunyaoshi.jpg
こちらが、徳川綱吉(土佐光起筆 徳川美術館蔵)さんです。

 
犬の国勢調査を行い、出生死亡を届けさせ、いじめると牢屋に送られたとか。
犬がケンカを始めても、叩いて追い払うのはご法度で
「水をかけて引き分けろ」というお達しがでたため、
町ごとに「犬分け水」と書いた桶を置いたとか。
「お犬さま扶持」で年貢がふやされたとか。
なかなかすごい話ですね…
 
これに伴い元禄8年(1695年)、飼い主のいない犬を収容するため、
四谷・大久保・中野に『犬御用屋敷』が設置されました。
なかでも若松町にあった『大久保犬御用屋敷』は、
なんと総面積2万3000坪という広さを誇り、約10万匹の犬を収容したとか。

犬小屋は一頭につき間口六尺奥行二間(1.8×3.6m、4畳の広さ)。
かなり広いですね!今の一人暮らしと変わりません!?
(CORE牛込若松はもっと個室が広々としています、念のため!)
ご飯も、年貢で納められた精白米・味噌・干しイワシなどをたくさんもらっていたそう。
 
その頃、「このあたりの住民は眠れないらしい」と言われました。
10万匹の犬がワンワン吠え立てるため、
風向きによっては四谷あたりからでも聞こえたといいます。
(今は眠れますので、念のため!)
 
犬屋敷として24年間利用されましたが、あまりに犬を収容しすぎて、
元禄10年(1697年)には手狭となり、中野に移転、ここは閉鎖されました。
 
現在の余丁町小学校
(隣町が余丁町(よちょうまち)、というのですが、余丁町小学校は若松町にある!)
と警視庁第八機動隊を合わせた一帯(1万3000坪)と、
隣町の厳島神社(抜け弁天)の東側一帯(1万坪)の土地が、犬屋敷になっていたようです。
正確な場所は分からないのですが、だいたいこのあたり?
36c36819.jpg
 (/2012/12/02 画像変更しました・・・場所が間違っていました、ごめんなさい)
  
 
もうひとつ…も書くつもりでしたが、
長くなったのでまた次回!
 
お犬さまの鳴き声のソラミミが聞こえるかもしれない「若松町歴史発掘町めぐり」
参加者募集中ですよー!

by碧
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PROFILE
HN:
CORE 牛込若松
性別:
非公開
自己紹介:
新宿から8分、若松河田駅から2分。

築50年の建物を、無垢材や漆喰など自然素材を活かして改修中。充実したキッチンや共用空間、ゆったりとした個室、みんなでつくる庭。屋上からは新宿の高層ビルや花火も見えます。

実はこの町、江戸城に門松を献上していたから「若松町」という名がついたとか。江戸のお稲荷さん、大正のレトロ建築、懐かしい雰囲気の商店街も残っています。

この町で、住人仲間はもちろん、町の人たちともゆるやかにつながる。シェアハウスから広がる暮らし、はじめませんか?
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