CORE牛込若松発起人、麻です。
碧さんがたくさんアップしてくれている記事、チェックしていただいてますか?
これらを読んでいただくと、
ほぉ~、若松町っていうのはなんだか歴史のある町らしいなぁ~
と思っていただけると思います。
そんな町にオープンするCORE牛込若松ですが、
とはいえ現代生活を送る方たちが住むシェアハウスですので、
(近々、入居希望の方を募集する予定です。気になる方、もう少々お待ちください!)
近隣にどんな生活関連施設があるのかも、気になるところですよね。
今日はその中で最も重要であろうスポットをお知らせします。
まず最初に、食料品。
これは、COREから歩いて1~2分の場所に、スーパーがあります。
丸正チェーンのmama's plateです。
http://www.mamas-plate.com/
まぁ、普通のスーパーですが、
大抵のものはここで揃いますし、
なんといっても近い!のが魅力。
料理を作り始めてから
”しまった!○○買い忘れた!”
なんて時でも、買いに行けちゃうくらい近いです。
こだわり食品を購入したいときは、
徒歩5分強の、早稲田自然食品センターへ。
http://www.bunrishoin.co.jp/waseda/
食料品から生活雑貨にいたるまで、色々置いています。
しかもここ、年に数回、10~15%OFFとかのセールをやっているんです。
買い置きしておきたいものなどは、このセールを利用すると、得した気分~
そして一番近いコンビニは、セブンイレブンです。
徒歩2~3分。
最寄の、都営大江戸線若松河田駅からの帰宅途中に寄れる場所にありますよ。
仕事終わりが深夜になっても大丈夫!
そして写真に写っていますように、モスバーガーもあります。
その他、ドラッグストアや金物屋・文具屋なんかも近隣にあるので、
とりあえずのものは揃います。
また、mama's plateがある若松町の商店街は、
ちょっと懐かしい匂いのするお店が、そこかしこに残っています。
今週末12月10日に予定している
「若松町 歴史発掘町めぐり」では
そんな商店街をそぞろ歩く時間もあります。
申し込み締め切りは、
期日・人数ともにギリギリになって参りました。
検討中の方、お急ぎくださーい。
by 麻
「若松町 歴史発掘町めぐり」も、もう来週です。
お陰さまで参加の方も、だいぶ増えてきました!
まだ数人、空きがありますので、ご検討中の方はお急ぎください。
お昼ごはんの、天ぷら高七さんに、人数のご連絡をするので、
7日(水)までにはお申込みくださいね~
ビール缶のついた酒屋さんもあるし…
火の用心のキツネも、びしっと待ってます!
by 碧
今日は、若松町に昔あったけど今は無いもの、を2つご紹介します。
1つは、犬屋敷。
江戸時代、5代将軍綱吉が制定した「天下の悪法」生類憐みの令により、
野良犬を収容したお屋敷があったんです。
歴史、復習しちゃいます?
五代将軍徳川綱吉は、男の子徳松の死後、世継ぎに恵まれず、
これを前世の殺生によるものと信じ、貞享4年(1687年)に「生類憐れみの令」を発します。
生物の殺生を固く禁じ、自身が戌年(いぬどし)生まれだったため、特に犬を重視しました。
こちらが、徳川綱吉(土佐光起筆 徳川美術館蔵)さんです。
犬の国勢調査を行い、出生死亡を届けさせ、いじめると牢屋に送られたとか。
犬がケンカを始めても、叩いて追い払うのはご法度で
「水をかけて引き分けろ」というお達しがでたため、
町ごとに「犬分け水」と書いた桶を置いたとか。
「お犬さま扶持」で年貢がふやされたとか。
なかなかすごい話ですね…
これに伴い元禄8年(1695年)、飼い主のいない犬を収容するため、
四谷・大久保・中野に『犬御用屋敷』が設置されました。
なかでも若松町にあった『大久保犬御用屋敷』は、
なんと総面積2万3000坪という広さを誇り、約10万匹の犬を収容したとか。
犬小屋は一頭につき間口六尺奥行二間(1.8×3.6m、4畳の広さ)。
かなり広いですね!今の一人暮らしと変わりません!?
(CORE牛込若松はもっと個室が広々としています、念のため!)
ご飯も、年貢で納められた精白米・味噌・干しイワシなどをたくさんもらっていたそう。
その頃、「このあたりの住民は眠れないらしい」と言われました。
10万匹の犬がワンワン吠え立てるため、
風向きによっては四谷あたりからでも聞こえたといいます。
(今は眠れますので、念のため!)
犬屋敷として24年間利用されましたが、あまりに犬を収容しすぎて、
元禄10年(1697年)には手狭となり、中野に移転、ここは閉鎖されました。
現在の余丁町小学校
(隣町が余丁町(よちょうまち)、というのですが、余丁町小学校は若松町にある!)
と警視庁第八機動隊を合わせた一帯(1万3000坪)と、
隣町の厳島神社(抜け弁天)の東側一帯(1万坪)の土地が、犬屋敷になっていたようです。
正確な場所は分からないのですが、だいたいこのあたり?
(/2012/12/02 画像変更しました・・・場所が間違っていました、ごめんなさい)
もうひとつ…も書くつもりでしたが、
長くなったのでまた次回!
お犬さまの鳴き声のソラミミが聞こえるかもしれない「若松町歴史発掘町めぐり」、
参加者募集中ですよー!
by碧
今日は、シェアハウス「CORE牛込若松」の
名前の由来について、お話したいと思います。
「CORE」という名前は、
シェアハウスのベースとなっている、二つの想いから名づけられました。
「共に暮らす(Co-housing)をリノベーション(Renovation)でつくりたい。」
「人・町・歴史のつながり(Communication・Connection)を再構築(Rebuild)したい。」
この二つのCoとReを取ってつけられています。
麻さんの記事にあるように、
「隣にどんな人が住んでいるかわからない」暮らしではなく、
「隣人やご近所とつながりがある」暮らしの方が、豊かだよね。
そんな思いを共有しながら、このプロジェクトはスタートしました。
そして、どのような形が理想なのか、手さぐりで模索する中、
この度の震災が発生しました。
この大きな転換点を迎えて、
これからの時代に、シェアする暮らしが求められているという想いは、
より明確になったように思います。
私たちのCORE牛込若松は、小さな事例かもしれないけれど、
つながる暮らしの、古くも新しいライフスタイルの一例になっていきたい。
そんな風に考えています。
また、日本の中心の東京の中心の新宿の中心に若松町はあり、
(どこが中心か、様々な異論はあると思いますがご了承くださいね(笑))
その町のほぼ中央に、CORE牛込若松は位置しています。
そんな場所ににあって、
「この町にこれから生まれる交流のCORE(コア、中心)を目指したい。」
という想いも込められています。
そんなCORE牛込若松、これからも、どうぞよろしくお願いします。
ポスターとチラシを作ったのですが、
ブログアップを忘れていました!
JPGの画像では文章まで読めないと思いますので、PDFダウンロードしてご覧くださいね。
ダウンロード(pdf)
ダウンロード(pdf)
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「若松町 歴史発掘 町めぐり」開催概要
日時:2011年12月10日(土) 10:00~15:00頃
場所:新宿区若松町周辺 (都営大江戸線 若松河田駅)
定員:20名
※参加費は無料ですが、昼食代は各自負担でお願いします。
※当日は、現在工事中のシェアハウス現地も見学し、賃貸資料もお渡しする予定です。
※定員間際となった場合は、入居検討中の方を優先させていただくことがあります。
参加申し込み、お問い合わせは、以下を記載の上、
①氏名
②年齢
③メールアドレス
④携帯電話番号(当日の緊急連絡先として)
⑤入居希望の有無
⑥このイベントをどこで知りましたか?
core.ushigomewakamatsu@gmail.comまでご連絡ください!
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by 碧
まだまだご参加いただけますので、是非いらしてくださいね!
当日のお昼ごはんの場所を決定しましたので、ご報告します!
若松町の高七さんという、天ぷら屋さんです!
創業明治十七年!
戦前までは日本橋で、戦後に若松町に移転されたそうです。
現在のご主人で五代目!
奥様もとっても気さくで素敵な方です!
そんな歴史もさることながら、
羽が生えたような!軽い天ぷらなんです!
いただいたんですが、写真を撮り忘れてしまいました…。
きゅうりや大根の天ぷらもあるんですよ!
写真を忘れてしまったので、
食べログさんのページをごらんください…
http://r.tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13010870/
「若松町歴史発掘町めぐり」のときのお昼は、
こちらの、上天丼(1500円)です!
10種類くらいの天ぷらが載った、豪華な天丼だそうです。
週末はとても混むんだそうですが、無理言って(笑)予約してきました!
お昼も楽しみな、「若松町歴史発掘町めぐり」
ぜひご参加くださいね!
by 碧
最近連日明かされる、若松町の魅力に取りつかれたあなた!
ぜひCORE牛込若松に、入居ご検討くださいね!
さて今日は、
国際医療センター前の、この道路に注目してみたいと思います。
なんだか、不自然に曲がっていると思いませんか?
昭和62年にロータリー化工事が行われ、斜めの道路ができたそうですが、
それまでは、カクカクと曲がった道路だったそうです。
こんなクランク状の道、道路としてはとっても不便ですよね。
どうしてなんだろう?
この秘密も、何と江戸時代にあったのです!
謎解明の秘密兵器、こんな地図を入手しました!
江戸時代(文政11年(1828)の古地図に、現在の鉄道路線図をプロットした地図です。
(人文社「御江戸電車めぐり」)
例えば皇居の周りは…。
東京ドームは…。
月島は、まだ海の中です
というような、大変興味深い地図なのですが、
これで若松町を見てみると、こんな感じ。
現在の若松町の道路は、江戸の道路とほとんど同じです。
(ちょっと縮尺が違いますが…分かるでしょうか?)
この地図を見ると、主な道路は今の東京とそれほど変わらず、
道路が複雑に入り組んだ地域と、整然と並んでいる地域に
分かれていることが分かります。
実は、江戸時代には、
道路が複雑に入り組んだ地域には武家や大名の屋敷があり、
整然としている地域には町人の住まいがあったんだそうです。
武士や大名の屋敷のあった場所が入り組んでいたのは、防衛上の理由から。
真っすぐな道路だと、敵が来たらすぐに攻められてしまう。
入り組んだ道であれば、敵の足止めもできるし、物陰から攻撃もできます。
そのために、武家や大名の屋敷周辺は
鈎(かぎ)型道路や迷路型の道路になっていたのです。
(一方、町人が整然としたところに住んでいたのは、
幕府が小さな土地に効率的に住まわせようとしたからなんだそうです。)
つまり、国際医療センターの前のこのクランクは、
まぎれもなく、ここが尾張殿、つまり、戸山山荘だった名残りなのです!
昭和62年にロータリー化工事されるまで、地域の人は不便を忍び、
この工事には、14億円も掛かったとか。
「若松町の歩み」より、ロータリー化工事の写真。戸山山荘側から見た写真ですね。
昭和の間ずっと、こんな不便に耐えていたとは、
手を付けられない何か大きな力がかかっていたのでしょうか…。
歴史、侮れません。
江戸のお屋敷の端っこが見たい方、
「若松町 歴史発掘町めぐり」に、ぜひご参加くださいね!
By碧
今日は若松町のお隣、戸山公園のお話です。
この場所は、武家のお屋敷だったところなんです。
江戸の昔から「戸山山荘」と呼ばれていました。
まず、略歴をご紹介しましょう。
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1669年から造営された、徳川御三家の一つ「尾張家」の下屋敷。
池泉回遊式の名園で、江戸最大の別邸とも言われたそうですが、
度重なる火災で類焼した後は復興されず、荒廃してしまいました。
大政奉還の後は、西郷隆盛が駐屯地とした時代もあったそうです。
明治7年に、陸軍戸山学校・陸軍病院となり、のちに国際医療センターに。
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その庭園を少しご紹介すると、
起伏に富んでおり、広さは約449,000㎡。
8割が池の池泉回遊式の名園で、
小石川にあった、水戸家の後楽園と並ぶ名園であったと言われています。
個人的に面白いと思ったのは、
「敷地内に宿場町を模した30軒の町並みがあった」という話。
酒屋、本屋などが並び、お医者さんまでいたらしいです。
前出の「若松町の歴史」に、その町並み図が載っています。
お偉いさんたちが、下々の町並みを再現して、
買い物をしたりして楽しんでいたとか。
今で言えば、キッザニアみたいなものでしょうか。
武家の遊びはスケールが大きいですね。
庭園の中心にはお椀をふせたような形の築山があり、
それが現在も残っていて、箱根山と呼ばれています。
なんとこの箱根山、
23区内最高峰!
なんですよ!
標高44.6m!です!
現在は階段もあり、ちょちょいと登れる程度の高さですが、
個人的には「最高峰!」という言葉、非常にグッときます(笑)。
現在公園の周囲には、
医療センターの大きな建物や、マンションが建ってしまって、
見晴らしがいいわけではありませんが、
頂上に登って、江戸大名の気分に浸ってみるのも楽しそうです。
「若松町 歴史発掘町めぐり」では
この箱根山にも登ろうかと検討中!ぜひご参加くださいね!
By碧
まだまだ掘り出し物があります、若松町!
今日は、小笠原伯爵邸をご紹介します。
小笠原伯爵邸は、
1927年(昭和2年)に小笠原長幹伯爵の邸宅として建てられた、
スパニッシュ様式の洋館です。
スペイン瓦や特製タイルの装飾に特徴があり、
噴水のある中庭(パティオ)は特に完成度が高いものとされています。
また、喫煙室(シガールーム)は、
国内では珍しいイスラム様式の装飾が施されているそうです。
お庭から内部をちょっと覗き見… (ごめんなさい)
設計は曾禰中條建築事務所というところで、
慶応義塾大学の図書館などを設計した、戦前の有名な設計事務所だそうです。
戦後、1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)までは
連合軍に接収されていましたが、
接収解除後、国から東京都に払い下げられ、
児童施設などに利用されていた時期もあったそう。
その後、老朽化と東京都の財政難で長らく放置され、
お化け屋敷と呼ばれ、取り壊しの話もあったとか・・・。
しかし、2000年になって、
「修復費用は事業者持ちで都民が利用できる施設をつくる」という異例の公募が行われ、
10年の期限で民間に貸し出されることに。
(取り壊さなくて、エライ!東京都!)
現在、一年半に及ぶ修復を終え、
75年の時を経てレストランとして甦っています。
(その修復費は、10億円も掛かったとか、掛からないとか…)
小笠原家子孫が宗家を勤める小笠原流礼法の教場ともなっているそうです。
レストランのHPより…
http://www.ogasawaratei.com/html/index.html
ランチコース :11:30~15:00 ¥7,350 (サービス料10%別)
ディナーコース :18:00~23:00 ¥10,500 / ¥15,750 (サービス料10%別)
ということで、そうそう行けそうにありませんが、
レストランとは別に、Bar & Café というスペースがあって、
そちらはもう少しお手頃です!(なんで営業してるんでしょう?(笑))
利用をすると、屋上などを少し見学させてもらえるそうですよ。
ちょっとおめかしして行ってみたいですね…!
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こんな見どころ満載の若松町、
12月10日(土)「若松町 歴史発掘町めぐり」参加者募集中です。
建築中のシェアハウス内部もご覧いただけます!
core.ushigomewakamatsu■gmail.com
(■をアットマークに変えてください)
またはFacebookページまで、ご連絡くださいね!
by 碧
そもそも、若松町はどこにあるのでしょう?
ここです!
左下の↑このあたりが、新宿駅です。
こんな感じで、山手線の内側に、若松町はあります。
歩いて帰る検索をすると…
2.3km 28分です!
新宿の飲み会で遅くなっても、歩いて帰れますね!
さて引き続き、若松町の見どころ紹介と、
古地図との比較なんかもしちゃいますので、
この地図、頭に入れておいてくださいね!
「若松町 歴史発掘 町めぐり」参加者募集中です!
by 碧
築50年の建物を、無垢材や漆喰など自然素材を活かして改修中。充実したキッチンや共用空間、ゆったりとした個室、みんなでつくる庭。屋上からは新宿の高層ビルや花火も見えます。
実はこの町、江戸城に門松を献上していたから「若松町」という名がついたとか。江戸のお稲荷さん、大正のレトロ建築、懐かしい雰囲気の商店街も残っています。
この町で、住人仲間はもちろん、町の人たちともゆるやかにつながる。シェアハウスから広がる暮らし、はじめませんか?
03 | 2025/04 | 05 |
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